易経から学ぶファシリテーション(09)

■万物に「陰と陽」の二面性を観ること■
 ずいぶん7月19日開催の日本ファシリテーション協会中部支部主催の定例会で出会った「易経とファシリテーション」ここまでシリーズを重ねてきました。
 次は、3つめのお題であった「陰の力と陽の力」です。これは、かなり内包されている意味がたっぷりありそうで、津村の理解では浅薄な記述になるかもしれませんが、お許しください。
 古代の聖人伏羲(ふっき)が陰陽を唱え、八卦(はつか)さらに六十四卦(ろくじゅうよんか)を考案したのが易経のはじまりとされているようです。易経は、ものごとを陰か陽かに判別するところから始まるようです。
 つまり弱い(陰)か強い(陽)か、裏(陰)か表(陽)かといったように、正反対の性質にもの後を分けるのです。あっこちゃん(2012)より、下記のような例が挙げられています。
  <陰> 地 夜 悪 邪 止 弱 裏 柔 小 月 寒 冬 女 子 ー
  <陽> 天 昼 善 正 動 強 表 剛 大 日 暑 夏 男 親 +
 すべてのものごとは、正反対の二面性をもち、陰と陽とが同時に生じていると考えています。人間は、陰でも陽でもない対局として考えられ、それを性別で分ければ女性が陰で男性が陽となります。性格で考えると、強い(陽)か弱い(陰)かなどと分けることもできるでしょう。自然を天と地に分けると、天(陽)と地(陰)になります。
 陰と陽は表裏一体のものであると教えてくれています。どちらか一方がなければ、もう一方がないということです。昼がなければ夜もない、逆に言えば、昼があるから夜があるといったらいいんどえしょうか。陰といえば、善悪で言えば悪であり、優劣で言えば劣っているということですが、それで優劣をつけることではないのです。どちらもともにあることと理解することが必要なのです。
 このお話から、私は、図地反転図を思い出しました。何かを見たときに、図になるもの(陽)と背景の地になるもの(陰)に分けられます。地があるから図があるのであり、図があるから地があるのです。こうした関係が陰と陽との関係なのだろうと思います。私たち、グループを見るときにも、どうしても自分の目の前で特別に目立った存在であるメンバーであったり、出来事であったりすることにとらわれやすいものです。目がそこにいくのです。しかし、その背景になっている人たちにも光を当てることが大切なことは結構あります。何か反対意見を強く言っている人が図になり、それを黙って見守っている人は扱われずに時が過ぎることがあります。また、逆に、ファシリテーターに都合の良いことを言ってくれるメンバーに光が当たり、少し疑問に感じているメンバーがいても気づかずにやり過ごしてしまうことがあるのではないでしょうか。
 このすべての出来事には、「陰と陽がある」という視点は、ファシリテーションにおいて絶えず持ち続ける必要がある視点だと思います。たくさんの事例が思い出されそうです。
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