スタッフブログ

2016年1月2日|

歳を重ねる

 歳を重ねると覚えている力が衰えます。
「昨日の晩御飯、なんだったっけ?」くらいから、「薬、飲んだかな?」「歯、磨いたっけ?」とか、覚えていないこと、忘れることが多くなる。先日は一晩、玄関のカギをつけっ放しにしたままでした。
 忘れることが多くなることは、歳をとった証のようなものだけれど、歳をとったからこそ忘れることもある。長く生きれば生きるほど、目や耳やすべての五感から入ってくる情報はどんどん増えるわけだから、そんなものすべてを覚えてられるわけもない。覚えておく必要もない。だから、忘れるのは人が生きていく上での自然な摂理といってもいいのではないかと思います。五郎丸さんは忘れることはないでしょうけれど、ルーティンとなっていることは特に忘れやすい。それが日々の当たり前の行為となっているから、だから電車の運転手さんはいつも指差確認をしている。
 歳を重ねて忘れるということは、余分なことは捨てていくことだと思います。
 残されたいのちの時間を思えば、余分なことを脳に留めておくことがもったいない。だれかが自分のことをどういったとかを気にすることだの、恨み辛み、苦い経験や思っても糸口すら見出せない悩みなど、考えてもそこから生まれてくるものがないならば、いのちの時間をすり減らすほどの澱(おり)は忘れ去るのが一番。ちなみに一説には、「忘」は「自分の意志で自分の心をなくした」ことで「わすれる」とか。
 削ぎ落とされた自分の周りをみれば、そこは「美」の世界。自分の周りは「美」で溢れている。おそらくそれって歳を重ねないと見えてこない世界。歳を重ねるからこそ見えてくる世界。
 そこにずっぽりはまって、ひたすら「美」に包まれる。それが自然に、あるがままに、そこにある。
 そんな「美の世界」すら忘れてしまうようになれば。
 だから、歳を重ねることは楽しい。


2015年12月30日|

Tグループの事務局

 今年は、Tグループの事務局を第1回、第2回と続けて行ってきました。私は事務局のような仕事が苦手だと思い、今までは積極的に行うことはありませんでした。
しかし、2回続けて事務局を行うことで私の中で変化したことがあります。それは、確かに慣れないことや戸惑うことも多々ありますが、何でもやってみないとできることもできないことも分からないということです。6月の事務局の時は、何をすればよいのかもわからずにおろおろするばかりでした。しかし、その中でも、私を励ましてくれる人や慰めてくれる人がいて、本当に救われた思いがしました。一度体験すれば、流れも分かるし,おおよその目どが自分の中でできるので余裕も出てきます。これも体験学習の循環過程であると感じずにいられませんでした。やる前は、不安でいっぱいでしたが、2回連続してやったことであれだけ,苦手意識を持っていたのに少しずつ、苦手ではないかもしれないと思えるようになったことです。
 できないと思っていることのほとんどは、自分の中で限界をつくって、できないと諦めていることが多いのではないと改めて思いました。失敗もたくさんした事務局でしたが、今はなんだか好きな仕事になりそうです。
 来年も第3回のTグループの事務局が決まり、2回の経験を活かして、さらにバージョンアップしていきたいと思います。

 今年は、事務局をはじめ、新しいことに挑戦する年でした。そして多くの人に支えられながら過ごした一年だったと思います。
 至らないことも多くありましたが、来年も引き続き、よろしくお願いします。


2015年12月14日|

今年もあと半月

今日は12月14日、赤穂浪士討ち入りの日であります。
時代劇好きの母親が、忠臣蔵を扱ったテレビドラマなどを見ております。私は忠臣蔵にはまったく関心はないのですが、どうしてこう毎年飽きもせず、同じような筋書きのドラマを見ていられるのでしょうか…そちらの方に関心があります。今注目のルーティンというやつでしょうか。
今年もあと半月を残すばかりとなってしまいました。本当に1年があっという間です。これもまた毎年恒例のセリフです。私はいったいどんな一年を過ごしてきたのか?断片的に思い出すのは、失敗したことや後悔したこと、しんどかったことばかりです。本当はいいことも、できたこともいっぱいあったのですが。ダイエットもがんばって結果は出したのですが、目標までの2キロが達成できないことを悔やんでしまう自分です。ものごとがポジティブに見えるレンズが欲しい!来年は是非手に入れたいです。
ともかく残りの予定やらやらなくてはならないことを、自分の精一杯の力で生きていくだけ。来年のことは来年じっくり考えますか。


2015年12月5日|

1日1日を積み重ねて

 12月に入り、翌年の手帳をそろそろ買わないと…と思ったり、今年が終わるまでにやっておかなければいけないことに急かされるようなそんな日々を過ごしています。今年は果たしてどんな一年だっただろうかとゆっくり思い返す時間はもう少し年末に譲るとして、今日南山大学人間関係研究センターの公開講演会に参加してきました。「私の体験学習をふりかえる」と題して、星野欣生先生、グラバア俊子先生、津村俊充先生、3氏による贅沢な座談会でした。
 ラボラトリー方式の体験学習を、南山短期大学、南山大学という高等教育機関の実践の中でどう創り上げてこられたのか、学生のことを本当に思いながら、教員同士が切磋琢磨しあい、高め合っていく過程は、本当にその時の生の実感が伝わってきました。またファシリテーターとして何を大切にしてこられたのか、どう変わってこられたのかなどをお聞きしながら、今の自分の日々のかかわりについて改めてふりかえる機会になりました。相手の自発的な学びをどうしたら支えることができるだろうかと思いながらも、ついついおせっかいになっている自分。教えるのではなく問いかけることで本人が自ら気づくようなかかわりをしたいと思いつつ、やっぱり何か自分の中で答えをもっていてかかわりににじみ出ているのかもしれないなと。その一方で相手に問いかけるだけでなく、自分の気づきをいかしていくことも大切など。他にもいろいろ響いたお話がたくさんありました(紀要に掲載されるとのことなので、座談会の内容はぜひそちらをお読みください)。
 体験学習に出会ってから、その人のありようそのものがファシリテーションに現れることを実感しています。今の自分が見えていることや気づいていることが重なって、随分時間がたってから少し前進したことに気づいたり、あまり変わっていない自分を発見したり。ファシリテーターとは人間としてどうあるかそのものだと思うので、日々の気づきや学びを積み重ねてもっとあじわいのある存在になれたらなあと改めて思いました。
 1日1日の積み重ねでどこまでたどりつけるか?お三方の、かまえない、あるようにある中で、温かみや安心感を感じることができるファシリテーターとしてのありようは、キラキラと輝く星のように本当に遥か彼方ではありますが、少しでも歩み続けたいと思います。


2015年12月1日|

 正直者は馬鹿を見る

 正直者は、正直であるがゆえにそうあり続けようとするため、結果的に要領がよかったり、ずる賢かったりする者が得をする。そんなふうに思っていました。でも、おそらく正直者は馬鹿を見ない、と思います。
 正直者は馬鹿を見る。正直ではない人からすれば、正直であろうとすると損をするなら、正直でないほうがいいと思えます。しかし、正直な人は、正直であることがその人のその人たらしめていることであるならば、その人が体験し、いきついた結果がどんなものであれ、正直を貫いたことに対する疑念は微塵ももたないだろうと思うのです。正直は馬鹿を見ると唱えるのは、正直ではない人だから言ってるのであって、正直な人はそんなことは気にはしない。

 正直者が馬鹿を見る

 “は”でなく、“が”が本来のことばです。“は”が“が”に変わるだけで、意味合いが違ってきます。
 視点が正直ではない人から、世の中のあり様や動きにまで広がります。正直者が見る馬鹿は、どんな馬鹿なのかはわかりません。損得でいうところの損なのかもしれません。人として、人の道を歩む上で、正直に生きている、正直に生きようとしているのに、世の中が一部の人たちで動かされたり、一部の人たちのためだけに形づくられるとしたら、それはなんともやるせないことです。人として、人の倫が歩める世の中。正直な世の中でありたい、あってほしい。

 私たちがそのためにできることはなにか、することはなにか。亀の歩みではあっても、歩みを止めることなく倫を歩んでいきたい、そう思っています。

 


2015年11月26日|

本屋さんに行って

 昨日本屋さんに行って、あれやこれやと本を見ていました。このところ、仕事関連として看護系の本を数冊購入していましたが、昨日は、自分の心から読みたいと思う本がないか、心にときめくような本がないかを見て回っていました。
 しかし、同時に「今、この本を買って読む時間があるのだろうか」と心の中でもう一人の自分が囁く声が聞こえてきます。
確かにやることが山積みになっている状況で、本を読む暇があったら、講座の準備や資料の整理、報告書、予算書など、どれも早急にしなくてはいけないことがあるのに、どれもできていないではないかと思い、本の購入をあきらめて帰ってきました。
 家に帰ると読みたくて購入したのに手付かずのまま、積まれている本たちを目にして、今の私は、本を読むことより、本を購入することで満足していることに気がつきました。
 取りあえず、買うより、今、家にある本から順番に読むことをしようと決めましたが、果たしてゆっくりと本を読む日がいつ来るやら…


2015年11月20日|

世界野球プレミア12

今、世界野球プレミア12が行われている。
日本は無敗で決勝トーナメントに進み、優勝候補と目されていた。
しかし、残念なことに今日の試合で韓国に負けた。

最初は大谷投手の好投で、韓国打線を封じ込め日本の有利に試合を進めていた。
8回までは私も安心して見ていた。
8回で大谷投手から引き継いだ則本投手も好投していたからだ。
しかし、9回になると先頭打者にヒットを打たれたことをきっかけに全ての歯車が狂った。
次の打者の打球はピッチャー則本の足元に・・・
そしてセンター前ヒットとなり、韓国チームに勢いを与えた。
ここからもう何をやっても韓国の勢いが勝っていた。
秋山選手のナイスキャッチと中田選手のヒットも出たが、万事休すである。

これ以上の情報は明日の朝刊に任せるとして、私はこういう試合を何度も見てきた。
我が息子たちの野球の応援でである。
最も印象に残っているのは、二男の高校3年最後の試合である。
夏の甲子園愛知県大会でのことだ。
息子たちのチームはベスト8をかけて戦っていた。
途中までは確実にこちらが優勢であった。
しかし、本当に些細なミスが流れを完全に変えた。

コンテントはプロセスに影響を与え、プロセスはコンテントに影響する。
常日頃から講義をしているとおりである。
時には例にも使っている。
思わずTVを見ながら「コンテントとプロセス」だなぁとつぶやいてしまった。

今日の試合をファシリテートするなら、どこで何ができたのだろうか?
それがわかったら、私も名監督だなぁー


2015年11月15日|

未来は今ここから始まる

先日、「対話から始める組織の変革~ボブ・スティルガー博士から未来を生み出す変革のリーダーシップを学ぶ~」に参加しました。ボブさんにお会いするのは初めてでした。ボブさんの温かさにその場が包み込まれているようでした。初めに3人組になり、「あなたは何者ですか?」「何を大切にしていますか?」「あなたが最も感謝していることは?」という大きな問いからスタートしました。1人が話し、1人が話をじっくり聞いて最後に話のエッセンスを伝える、1人が問いかけるということをし、役割を交代して3回同じことをしました。私が何者か?という問いかけにどう答えていいか初めは戸惑いましたが、じっくり耳を傾けてくれる人がいたことで、じっくり自分に向き合いながら、自分の言葉を吟味しながら語ることができました。7分程度でしたが、その時間の感覚を超えた深みのあるひとときでした。普段私たちは本当にじっくり自分を語ること、相手の言葉に耳を傾けることができていないのだとしみじみ思いました。
ボブさんがセッションの最後に語った言葉が印象に残っています。「イノベーションはほとんど失敗に終わる。たいてい何も起きない。それはなぜか?何が大切なのか、自分が何者かがクリアになっていないからだ。自分が変化を起こすということが信じられないのだ。今日やったことは今までとは違う出発点(スタートポイント)だ。」まさに変化を起こすのは今の私たち。未来は今ここから始まっているのです!


2015年11月1日|

柘榴

 昔、一本の柘榴の木が庭にありました。
 柘榴は毎年真っ赤な実を熟し、割れるとちりばめられた小さな顆粒が現れます。なにも手を加えないのにどの年も同じようにその表情を見せてくれました。
 近くに中学校があります。疑うのもいけないのですが、おそらくは中学生がもいでいったのでしょう、その影響があったのかもしれません、いつしか柘榴は痩せ、枯れたのかどうか、知らないうちに木そのものを見なくなってしまいました。いつもあった真っ赤な色が、この季節になり、見られないとなると、その存在の重さ、大切さがひとしお感じられます。
 近所のお宅に立派な柘榴があります。その木も毎年たわわに実をつけます。ひとつもいで食べてみたいな、といつも思っていました。ところがこの夏、驚愕したことにその木が伐採されてしまったのです。実が落ち、道路を汚してしまうと思ったからなのか、庭の手入れもままならないと高齢のご主人が思ったのか、私の風物詩の一ページに赤い衝撃が走りました。

 
鱗介(りんかい)の族は水を虚と為し、水の実(じつ)たるを知らず(佐藤一斎、言志後録53条)

(魚や貝などは水はないものと思い、水があってもそれに気づかない)

 当たり前にあるものは、失って初めてその存在の大切さや影響の深さ、ありがたさまでも感じられることがあります。日常で日常を暮らしていると、ただ暮らすことに心を奪われ、生きることに心が向いていないのを感じるときがあります。
 日々変わらないなかに変わるものがある。変わることへの鋭敏さと繊細さを研ぎたいと思います。


2015年10月25日|

腰を痛めて

 私は、この10月、仕事中に無理な体勢で患者さんの移乗中に腰を痛めてしまいました。
看護職は、結構持病で腰痛を患っている方が多くいます。私も20年以上前から寝たきりの患者さんの体位変換や車いす移乗で腰痛を患っていました。できるだけ腰部に負担をかけないように移動介助をするのですが、人手の問題であったり、患者さんの状態であったりで無理をしてしまうことがあります。看護師として、移動介助のスキルを問われることにもなりますが、今回も気をつけていたにもかかわらず負傷しました。
俗にいうぎっくり腰のようになってしまい、椅子から立ち上がることや歩くこともままならない状態になってしまいました。
 10年前に一度、とてもひどく腰を痛めて以来久々の腰痛で、自分でも歩き方がおかしいけれど、どうすることもできずに老婆のように腰をかがめてゆっくりとしか歩けない状態が続いています。
 休みの日には、いろいろなことをしたいと思ってみてもこの腰痛ではできずにいます。このところ仕事の合間に地方への研修があり、その疲労が腰のきたのではないかと家族に言われてしまいました。家族からの一言は、ちょっと耳が痛いです。それにしても、自分の体の声にも耳を傾けないといけないなぁと思う今日この頃です。


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