スタッフブログ

2014年3月16日|

最初の思いは…

先日、JIELの研究員の杉山さんが私の職場である専門学校で1日アサーショントレーニングを実施してくださいました。学生にとっては最後の授業でしたし、1年間育てた学生を信頼できる仲間が来て授業をしてくれるということで、とても楽しみにしていました。事前に学生にも告知したり、杉山さんとも打ち合わせをして準備をしました。しかし当日2名の学生が来ませんでした。しかも1人は無断欠席です。また1人の学生は来たのに1コマ目が終了後、帰ると言い出しました。理由を聞くと「アパートのカギをとりに行かなくてはいけない」と言うのです。4月からの新生活に向けていろいろ準備があることは私も理解できますが、何もこの日を選ばなくてもいいのではないか?と思いましたが、今さら言っても仕方がありません。何より講師の杉山さんに申し訳なく、恥ずかしい思いが湧いてきました。休憩中に教務室に戻り、同じ学科の教員に状況を報告したところ「どうせあいつらはそんなもんですよ。」と言われました。かちんと来たので「担任に、出られるなら出ろと言われていると学生は言ってましたよ。先生がその程度なら当然学生は来ませんよね。」とかなり語気を荒げて言ってしまいました。その後もしばらくやりとりは続いたのですが、休憩時間が終わりそうだったので、私は勝手に「そういう状況ですから」とやり取りを終わらせ、教室に戻りました。教室では学生が「アサーションは難しい」「頭ではわかるけど、私は普段どうなのかな?」と言いながらも、一生懸命取り組んでいました。その姿を見て、ふと我に返りました。参加しないたった3人の学生のことばかりが頭の中を占めていましたが、大部分の学生はしっかり取り組んでいるのです。参加した学生が自分の学びを獲得できるために動くべきだと考え直しました。さらに、私は怒りの感情をむき出しにして同僚に関わりました。アサーションで言えばアグレッシブに表現しましたが、相手はノンアサーティブになるか、同様にアグレッシブになるかのどちらかなのです。いずれにしても関わりの後味は悪いものでした。私は怒りの表現をしましたが、最初の思いは怒りではありませんでした。私にとっては大切な学生で、これから社会に出るために学んでおくといいと思って企画した、いわばはなむけの授業です。この思いが学生にも他の教員にも伝わっていなかったことが「残念」だったのでした。その最初の思いに尾ひれがついて怒りに変わっていきました。でも「残念です」という最初の思いを伝えていれば、あんなにアグレッシブなやりとりをしなくて済んだのに…それがまた「残念」でした。アサーティブになるのはやっぱり難しいなと思いました。でも気づけて良かったです。学生以上に私がいちばん学んだのではないかと思います。

アサーションは率直に自分の思いを表現すればいいということではありません。時には率直に表現しないことを選択することがあってもいいし、こういう言い方をすればアサーティブになれるという特効薬もないと思います。相手との関わりの中で、自分の表現が相手にどんな影響を与えているか、また相手から与えられているかをしっかりみることが大切だと思います。前回の水野さんの話をかぶってしまいますが、やはりアサーションは単なる表現の技術ではなく相手との関わりであるということを痛感した出来事でした。


2014年3月9日|

コミュニケーションは人間関係

JIEL公開講座でおなじみの星野欣生先生は、「コミュニケーションは人間関係です」とよく言われます。私は初めてその言葉をきいたとき、「言われてみれば、本当にそうだ」と納得しました。心の中でどう思っていたとしても、現実のコミュニケーションがよそよそしいものであれば、人間関係もよそよそしいものでしょうし、コミュニケーションが丁寧で受容的であれば、安心できる人間関係が築かれていくでしょう。
私はJIEL公開講座で「アサーション・トレーニング」を担当しています。アサーション・トレーニングは、自らの気持ちや考えを正直に、率直にその場に合った適切な方法で表現するためのトレーニングです。それはコミュニケーションのトレーニングであると同時に、人間関係を築くためのトレーニングでもあります。攻撃的な表現ばかりしていると、相手を脅かしたり、防衛的にさせたりして、敬遠されるかもしれません。逆に従順に他者の意見や意向に追随してばかりいると、対等な人間関係を結ぶことが難しくなってしまうこともあり得るでしょう。まさに、コミュニケーションは人間関係なのです。
私はコミュニケーションに正解はなく、多様であっていいと考えています。しかし同時に、人は誰もが他者と対等な存在だとも考えているので、自分が人と対等にかかわるための知識やスキル、トレーニングは多くの人とともに学び、実践していきたいと思っています。
今年の「アサーション・トレーニング」は、5月3・4・5日の3日間。全くの基礎から事例を扱う演習まで行いますので、「アサーション」という言葉を初めてきいた人の参加も歓迎します。ただいま、参加者募集中ですので、詳細を次のURLでご覧の上、ぜひお申込ください。
http://www.jiel.jp/kouza-mizuno-assert2014.htm


2014年2月28日|

自分を出さないことです

 2月に入って中ごろのこと。週末だったと思いますが、テレビをつけました。

 「和風総本家」。昼の放映だったので、再放送だと思います。その回の特集は、日本の職人さん、なかでも修復再生をする職人さんの特集でした。

 長野に住むご夫婦が、子どものためにおばあちゃんから譲り受けた雛人形を飾ろうとしたのですが、ものが古いせいでお内裏雛の顔がはがれています。そこで修復を依頼します。

 依頼先は、京都の職人さん。「治せないものはありません」。修復歴数十年の腕前です。まずははがれかかっている顔の部分をていねいにはがします。その後、顔料なのか染料なのかわかりませんが、白い液体を塗っては乾かし、塗っては乾かしして、重ね塗りをしていきます。そして、顔を描きます。筆を入れ、眉、目、口が出来上がります。

 「気をつけていることはありますか」の問いに、職人さんが答えます。

 「自分を出さないことです」

 職人さんの仕事は修復することであり、そこに自分を出すと自分の思いや美意識、価値観などが出て、「こうしたらもっと素晴らしいものになる」とか「前よりもいいものになる」というようなことが起こるのでしょう。元あったものに忠実に仕上げていく。そこが職人さんの職人たるところなんだろうな、と思いました。

 修復するわけではありませんが、ファシリテーターもそこから学ぶことがあるように思います。ファシリテーターも人の子で、「こうしたらいいのに」、とか「この人にとって良かれと思って」といった気もちが起こります。言うべきか、言わないべきか、言うとしてどんなふうに言うか、そのことばのその人への、そして他の人やグループへの影響はどうか、など頭の中をぐるぐる回ります。

修復ということばがここでは適切ではないかもしれませんが、もし修復する、修正するとするならば、その人本人の思いと意志で修めていく。「自分を出さない」というより、「自分の思いや美意識、価値観などを押しつけない」。そんな職人さんになりたいです。


2014年2月20日|

応援大好き

今は冬季オリンピック真っ最中です。
最初は日本にメダルが取れるのか?と思う状態でしたが、その後日本代表の選手たちが頑張っていくつかのメダルを獲得し、感動を与えてくれています。
私はオリンピックが大好きなので、睡眠不足になりながらTVの前で応援を繰り返しています。
4年に一度のワンチャンスに賭ける選手たちの思いはどのようなものなのでしょう。
私など特別な運動能力を持っていない、というか自分の運動能力を最大限活かす努力をしたこともない人間には想像もつきません。
選手たちは、自分の生活のほとんどをワンチャンスに向けて過ごしているのは言うまでもなく、注目されれば常に日本の期待を背負って試合に臨み、またその結果をいろいろ言われてしまっています。
時には「ほっといてくれ!!」と叫びたいような時もあるでしょう。
その一方で、みんなの期待があるから頑張れるということもあるのかもしれません。
様々な思いを受けとめた上で、選手たちは日本の期待を背負って、持てる力を精一杯使って表現してくれます。
競技をすることは、選手自身にとっても自己実現なのだと思います。
誰かのためにやっているいるわけじゃないと言う選手も多いと思います。
でもそういった選手の全てが結果を出した後に「皆さんに感謝しています」と言います。
自分自身が最大限頑張った後のこの嘘とは思えないこの言葉を、私は大切に受け止めたいと思います。
何一つ努力をしないで、ほんのちょっとの睡眠不足で、私がこんなに心を動かすことができることを感謝します。
私は応援することが好きです。
大好きな応援が相手の負担にならないことを祈りつつ、今日もオリンピックの観戦をします。
TVの前でムキになって「走れ!飛べ!頑張れ!」と心で叫びながら…


2014年2月15日|

自分のからだは自分で守る

意を決して、今年の夏に手術を受けることにした。ここ1年以上も子宮筋腫をほったらかししていたので、おなかがせり出し、見た目にもわかるほどの大きさになったからだ。

病院に勤めていたくせに病院は苦手だ。病院というより医師が苦手だ。案の定、「ここまで大きくなってる人を久しぶりに見たよ」と大笑いする医師、かなり配慮にかけたことばをさらっと言う医師に出会った。全員がそうだとは言わないが、医師こそ人間関係トレーニングを受けた方がいいのではないかと思ったりする。こんな不愉快な思いをするくらいなら通院せず、このまま放置したくなるのだが、腰は痛くなるし、ちょっと小走りしただけで息が切れるし、体への負担が大きい。

子宮筋腫は女性にとってちょっと恥ずかしい病気のように感じる。インターネットや本などで調べると、原因は不明とはいいつつも、不摂生とか食べ過ぎの影響が大きいらしいと書いてある。確かにそうなのだ。食べすぎ、不摂生、思い当たるふしがありすぎる。ウイルス感染とか遺伝とかでもなく、自分が自分で作り出したものなのだ。とはいえでも不摂生したくしてしていたわけではなく、そうせざるを得なかったのである。自分の体や自分の生活は多少犠牲にしても、やらねばならないことを一生懸命こなしてきたのだ。そんな背景を知らずとなぜ医師は私を笑う?なぜ心無い言葉をはかれなければならないのか?

こういう怒りやネガティブな思いをためこんでためこんで表出しないことも筋腫を大きくしてしまう要因かもしれないなと思う。自分のからだは自分で守らなければならない。誰も守ってくれないのだから。早めに就寝すること、バランスのとれた食事、無理のない仕事量、嫌なことはできるだけ避ける、ネガティブな思いもアサーティブに表現する…身を守る方法を考えてたらいろいろ自分に課す事柄が多くなってしまった。ま、結局のところ、あんまり考え過ぎず、楽しく生活することがいちばんからだにはいいのかもしれない。


2014年1月31日|

大空小学校

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 なぜそうなるのかはわかりませんが、与えられるべきときに与えられるものが下りてくることが
あります。1月18日の土曜日のお昼にたまたまつけたテレビの番組がそうでした。
 関西テレビ制作のドキュメンタリー「みんなの学校」です。文化庁芸術祭のテレビ・ドキュメン
タリー部門で大賞を受賞しました。映像の場所は、大阪市立南住吉大空小学校です。この学校は、
特別支援の対象となる子どもも同じ教室で学んでいる学校です。
 ある日、K君が転校してきました。前の学校の校長先生が、うちではどうにも預かれない、とか
で移ってきたのです。あの子がいくならうちの子は行かせたくない、という親もいたそうです。
 K君が転校して1日目、2日目。とくに問題なく一日が終わります。何日か経ち、K君が学校から
いなくなった、という一報が校長室に入ります。先生が見つけて教室に連れ戻しました。校長の木
村泰子先生がクラスの全員を集め、自身は教壇にすわってみんなに問いかけます。
「なにがあったん?」
子どもたちが順番に言っていくと、ひとりの子が「なんでこんな問題わからへんの?と言った」と
言います。木村先生は言います、「そりゃわからへんやろ。K君は長いこと病院に入院してて、学
校行ってへんし。…」。
普通に考えると、まずK君になぜ学校を飛び出したのかを問うことのほうが多いのではないでしょ
うか。場合によっては、責めたりもする。でも、木村先生はK君にそれについてはひと言もふれま
せん。「コンテントとプロセス」という視点で見ると、木村先生はコンテントにはそれほどふれず
に子どもたちの間でなにが起こったのか、そのプロセスに焦点を当てている、そう思いました。
別の日、K君が校長室に連れてこられます。K君はクラスの子に殴りかかったのでした。木村先生
が言います、「先生なあ、心配やねん、だれがってK君のことがやで。K君なぁ、教室に戻りたな
いなら、ここで勉強してもええねんで。どうする?教室に戻るか?」。K君は教室に戻りました。
教室に戻ると、K君に殴られた子が今度はK君めがけて殴り始めました。K君は返すことなく殴ら
れっぱなしでした。
この場面でも、木村先生はK君に対して「なんで人をなぐるねん?」とか「そんなことしたらあか
んやろ」とかは一切言いませんでした。言ったのはK君に対してのご自身の気もちでした。
数日後、授業参観の日です。一人ひとりが前に立ち、順番に自分の夢を話します。「医者になりた
い」とある女の子が言います。「お父さんが床屋をしているから、床屋をやります」と男の子。K
君の番です。
「暴力はふるいません、暴言ははきません」。頬に涙を流しながらK君は言いました。
木村泰子校長先生。本当に感動しました。もしできるなら、来年度の南山大学人間関係研究セン
ターの公開講演会にお招きして、直接お話をお聞きしたい、と思うのですが、津村センター長、い
かがでしょうか?


2014年1月20日|

親ごころ

今晩、1人暮らしをしている息子が夕食を食べに来た。
「いる?」というメールがくると、「面倒だな」という気持ちも起こるが、それ以上に何となく嬉しい。息子の予定に合わせようと思い、何を食べさせようかと考える。
息子は今ダイエット中で、私も必要だと思っている。でも、息子が来るとなると、彼が好きだからと色々食べ物を用意し、挙句の果てには何かしら好物を持たせてしまう。口では「食べるな!痩せろ!」と言っているのにである。
今回は、自動車保険の更新の相談もあった。今年からは息子の車は全て彼が維持することになっていて、社会人2年目ともなればそれが当たり前だと思っている。しかし、すぐに車検があり保険料が一括で支払えないなどと聞くと、分割にして余計なお金を使うなら私が貸してやろうかなどと考えてしまう。日頃は「しっかりしなさい」「いつまで親を頼っている」と言っているのにである。もちろん息子は保険契約を分割でした。
こういうことを“親ごころ”というのであろうか。私の両親も、私が行くことを心待ちにしています。どんなに文句を言われても、ご馳走をさせられてもである。そして訪問した最後には、「またゆっくり来てね」という。娘の立場だと「何で?」と思うが、親としては自分も同じことをしているように思う。そして損得勘定で言ったら、親ほど損な者はないと思う。
親というものは、死ぬまで子供のことを気にかけて、できることは全てやってやりたいと思って生きていくのでしょうね。そして、それがきっと喜びなのです。


2014年1月13日|

実践 人間関係づくりファシリテーション

昨年末、私たち日本体験学習研究所の研究員がみんなで書いた本、「実践 人間関係づくりファシリテーション」が刊行されました。
http://www.kanekoshobo.co.jp/np/isbn/9784760826476/
この本は、1)心理学や教育学、人間関係論等に詳しくない人でも自らの日常に照らし合わせて読み進むことができる、2)ファシリテーターとして自分で学びの場をつくろうとする人が、ポイントを押さえて小講義とラボラトリー方式による体験学習のエクササイズを提供できる、という2大特長を備えていて、すべての章が次のような構成になっています。
 1.具体的な事例を挙げた問いかけの導入「あなたならどうしますか?」
 2.テーマについての小講義
 3.実際に活用できる体験学習のエクササイズ
 4.エクササイズを行ったあとのファシリテーターのコメント参考例
 5.章のまとめの小講義
 6.ファシリテーションを行う上でのテーマの重要性
例えば、私が担当した第6章「受け容れる」の場合、1の導入部分では、A)社員同士が挨拶さえしない企業で働く社員の事例、B)シャツにアイロンをかけた母親に対する息子の応答を挙げ、読者に自分ならどうするかを問いかけています。2の小講義「受け容れるとは」では、A)を受けて挨拶という行動がもつ受容の機能を、B)を受けて立場の違いを超えて相手を受容するために必要な行動を紹介し、その上でロジャーズによるカウンセラーの基本的態度「受容/共感的理解/自己一致」の3点を挙げて、受容と共感的理解の必要性を述べました。3のエクササイズは、そこまでに述べたことを実際に体験できるように合意形成の実習を紹介しています。4は3の実習を終えた学習者に、ファシリテーターが実習を行った意味や実習で起こりがちな現象を解説し、内省を促すコメントです。5ではそれまでの学びや気づきをさらに一般化し、自己受容と他者受容により自分自身の感情や認知、お互いの関係性が変容していくことを具体的な事例を挙げて述べました。6はファシリテーターを務める際に、目の前の学習者や自分自身の言動、そしてその場の状況を受け容れることの大切さを紹介しています。2と5の小講義は、私が公開講座で行う「アサーション・トレーニング」にも通じる重要な考え方であり、6のファシリテーターとしての心得は私自身にとっても大切な教訓です。
こうした流れで各章が書かれている「実践 人間関係づくりファシリテーション」は、そのまま学びの場に活用できる、まさに実践的な本です。多くのみなさんにお役立ていただけるとうれしいし、2014年度はこの本に基づいたJIEL公開講座の開催も予定していますので、ぜひ楽しみにしていてください。


2014年1月2日|

不東

 不東。

 今年の賀状は「不東」にしました。三蔵法師・玄奘のことばです。

 『大唐大慈恩寺三藏法師傳』には、三度、「不東」の文字が出てきます。ひとつ目は、玉門関の手前の草原で西域行きを止められたとき、二つ目は、玉門関の外にある狼煙台で捕まったとき、そして三つ目は、砂漠で水の入った皮袋を落として水を失い、十里ほど戻ったときの三度です。三つ目ではこういっています。

「自念我先發願。若不至天竺。終不東歸一歩。今何故來。寧可就西而死。豈歸東而生。」(私は先に願を立てた、もし天竺に至ることがなかったら、東には一歩でも帰らない、と。今なぜ戻っているのか。むしろ西に向いて死ぬべきだ。どうして東に帰って生きられようか。)

 三蔵法師は目的を達し、インドに赴き、学びます。

 でも、三蔵法師の目的は、インドに赴き、学ぶことではありません。「東」に戻り、自分がインドで学んだことを多くの人に伝えることです。

 まだまだ学びが浅く、すぐに東に戻ってしまう自分です。それでもなんとか身心脱落し、少しではあってもこの身で、この心でお役に立てられるよう西に向かって歩んでいきます。


2013年12月28日|

ある研修を通して感じたこと

狭い世界に中にいると自分のまわりことしか見えなくなります。
ー意識して違う世界に身を投じてみて、はじめて知る世界から今の自分を見るー
これは、ある研修を通して感じたことです。普段の研修は大人を対象にすることが多いのですが、その時は中学生に授業しました。
思いがなかなか通じないことがありました。それは、全部は通じないわけではないのですが、「肝心なことが伝わっていない」と感じていました。どうしてなのか、こちらの伝え方が悪いだけだと思っていました。でも、それだけではないようです。言い方、聞き方の問題ではなく、私の感じている物の見方や感じ方と違うから言葉を分かち合うことができないのだと思いました。

分では、わかりやすく説明しているつもりでもわかってもらえないことが多いことを感じました。学生に関わったことで今まで意識しなかったことを意識できるようになりました。気持ちが通じれば、話が理解してもらえるし行動にもつながっていくことを大人より実感できたからです。相手の心に響くような思いを持つことがないと単なる言葉は聞き手から素通りされてしまうのだと中学生に教えられました。
 
 
 
 


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