スタッフブログ

2012年12月29日|

もうすぐ2012年も終わろうとしています!「歩いた後に道ができる!!!」

年をとるほど、月日の経つのが早く感じるのは私だけでしょうか?最近日増しにその感覚が強くなっています。回りの人たちが病気を患ったり、この世を去られたりと、なぜか年の過ぎゆくのを実感しながら、これから先がどうなるのか?見通しを立てることができないのに、立てたくなっている自分がいます。
そんな中、今年は、やっと念願のラボラトリー方式の体験学習の実践の書「プロセス・エデュケーションー学びを支援するファシリテーションの理論と実際ー」を金子書房から出すことができました。世に出てから、またあれも書けばよかったと、今から思うことはたくさんあります。
やっぱり、私の歩く道、先を見据えて歩くよりは、闇雲に歩きながら、そしてふかえりながら今を考えていくことになるのでしょう。
先日も、以前から考えていたこと「ファシリテーション検定」を学部のゼミ生対象に行いました。行った結果、ゼミのはじめにこうした検定の課題を考えておくと、ゼミの運営の道しるべにどれほどなったのかと思う次第です。でも、やっぱりこれも、歩いた後から、道しるべが見えてくる、これが私の生きる道。どこかの歌にあった台詞ですが、これからもそのようにがむしゃらに歩きながら、道ができていくのでしょう。これは、今年の学部のゼミ生とともに歩んだときのメッセージになっています。
歩いた後に道ができる!!!
ファシリテーション検定の具体的な内容は、こちらのブログをご覧ください。
        ↓
  http://jiel.sblo.jp/?1356772186


2012年12月27日|

後藤商会

 駐輪台から自転車を降ろすと、パンクです。名古屋駅周辺に自転車屋さんがあるかどうか…。仕方なく自転車を押しながら家の方角へと歩き出します。途中で自転車屋さんが見つかればいいが…。歩けば30分以上はかかる家路に自転車屋さんはあるか…。

 1件見つかりましたが、カーテンが下りていてやっていないようです。そこから10分ほど。見つけました。

「これは、むしだな」といって年配のご主人が交換してくれました。「お代は?」、「いいよ」。

 

 数か月後。出掛けに自転車を出すと、前輪がパンク。大事な研修の日なのにあわてて地下鉄でいく羽目になりました。後藤商会さんは家から一番近い自転車屋さんではないのですが、先回の“借り”があります。自転車を押して15分ほど。

 先客がいます。「今乗ってきたの?押してきたの?乗ってきたところならすぐやるから」。心やさしいご主人です。先客の修理が終わると私の番です。前輪を外し、チューブをだします。「これはいかんところに穴が空いたなあ」。ちょうど空気を入れるバルブのところに穴が空いていました。「他のところなら貼ればいいけど、ここはいかんわ」。チューブを交換することにします。「タイヤもだいぶすりへっとるけど、まあもつわ」。

 店はご主人と奥さんお二人で切り盛りしています。その掛け合いが本当に仲睦まじい。ことばは時に荒いけれど、慣れているのか奥さんは意にも介さず。ご主人がチューブを差し替えると、待っていたように奥さんが手押しの空気入れで空気を入れる。段取り見事。

 スタンドのスプリングが外れているのを見つけて、手持ちのものをつけてくれました。「お代は?」、「いいよ」。

 家から少々離れている自転車屋さんです。今度はタイヤを替えに来ることにします。


2012年12月22日|

忘年会

今日は、JIELのミーティングがあり、その後一年間を締めくくる忘年会がありました。わたしは、仕事があったので忘年会からの参加でしたが、例年のごとく楽しい忘年会となりました。忘年会の場所は、HCCの近くの居酒屋「だいだい」というところでしたが、そこのスタッフが明るくて面白い、感じの良いお店で大いに盛り上がりました。ワイワイおしゃべりをしていたので、隣の個室の方には、ご迷惑をお掛けしたかもしれません。

とにかく、みんなお腹がすいていたので、コース料理のペースが早くで、2時間の飲み放題だったのですが、料理は、1時間でほぼ終わってしまいました。話は、留め止めなく、真面目な話しは、ほんの少し、あとは、酔ったときのエピソードやら、居酒屋のスタッフも会話に参加しながら、笑いの耐えないあっという間の2時間でした。今年も、無事に1年を過ごすことができ、来年は、1月そうそうに杉山さんの自主講座の開催が決まり、幸先の良いスタートとなりそうです。今年から、研究員の自主講座を企画しましたが、私と岸田さんの講座が開催できず、参加申し込みされた方には、ご迷惑をおかけしました。来年は、年間計画を早めに出して、講座内容も再検討して望みたいと思います。

今年も1年間、皆様には、いろいろとお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

 


2012年12月19日|

よいお年を

いよいよ今年もあと10日あまり。
この時期になると必ず言うセリフが2つ。
1つは「1年があっという間だ!」
もう1つは「よいお年を」
1つ目は、歳をとるほど早くなるという。
信長が亡くなった歳もとっくに過ぎたのだから、これは仕方ないのかもしれない。
では2つ目は?
「よいお年を」というのは「よい年を迎えてくださいね」ということだと思う。
相手が気持ちよく新年を迎えられることを願っての言葉だろう。
でも実際は年内に会うことがなさそうな人には、必ず言っている。
相手に先に言われたりすると「しまった!」なんて思うこともある。
そんなに人のことを願えるものだろうか?
ちょっとへその曲がっている私は、ちょっと抵抗をしたくなってしまう。
私は最近「楽しいクリスマスとお正月を過ごしてね」と言うことにしている。
何が違うんだ!っていう程度のことだが、相手のことを願っているわけではない。
相手に任せてしまっている。
楽しく過ごしなよと言っているのである。
それでもどこが違うんだ?という程度だろう。
結局、常套句として言っていたら何でも同じなんだろうなぁ。
そうは言っても、右を向いて「よいお年を」と言い、左を向いて「じゃあね」と言う訳にもいかないしなぁ…
皆さん、それぞれ好きなようにクリスマス、お正月を過ごしてください。


2012年12月16日|

忘年会

しばらく(というよりもかなり長期間)、ブログを怠っていましたが、復活したいと思います。改めてよろしくお願いします。

さて、忘年会のシーズンですね。「忘年会」を辞書で引くと、「年末に、その1年の苦労を忘れるために行う宴会」(大辞泉)とあります。先日、忘年会に出ていて、ふっと忘れたくないこともあるんだなーという思いがわいてきました。

今まで忘年会と言えば、楽しいひとときの中で、今年起こったことに区切りをつけて新しい年を迎える節目、そんな意味を感じていました。大変だった苦労も時が過ぎてみるといい思い出になっていたり、失敗談も笑い話になったり、時が果たしてくれる効果に、今年もいろいろあったけれど、なかなかいい1年だったな、来年もがんばろうという前向きな気持ちが生まれてきた気がします。

今年は身内で悲しいことがあり、なんだかあっという間に時が過ぎてしまった気がしています。自分の中で少しずつ受け入れているような日々。そんな中で忘年会に出ていたら、簡単に忘れることはできないというか、忘れてしまいたくないという実感がわいてきました。自分なりのペースで気持ちが変わっていくことを大切にしたいと思います。

みなさんは、今年どんな一年を送られましたか。とてもいいことばかりだったという人も、なんだか今年はあまりついていなかったという人も、特に大きな出来事もなく平凡な1年だったという人も、来年はよい年が訪れますように。

 

怒りを言葉に

街中で大声で怒っているおじさんに出会いました。怒りの矛先は2人の男子高校生。恐らく駅に通じる階段に座り込んでいたからどきなさいと言っているのでしょうが、「ばかやろう」とか「いい加減にしろ」などという言葉しか聞こえないので本当は何が伝えたいのかよくわかりません。男子高校生もさっさとどけばいいのに小声で「うるせーなー」と言っているので、おじさんの怒りに拍車をかけているようでした。おじさんの怒りはごもっとも、でもそんなに怒鳴らなくてもいいのに、と少し嫌な気分になりました。言いたいことはわかりやすく言葉にして話さないと相手には全く伝わらないなぁと思いました。

今年の初めに「体重2割減」という目標を掲げたことを思い出しました。気が付けば12月。もう2割減どころか、現状維持もままならぬ状況です。目標値を下方修正するか、とも考えましたが、今年度中まで延期することにしました。私の得意な先送りです。ま、それでも少し気をつけないとと思い、加圧トレーニングのジムに通い始めました。ジムは自宅から歩いて行けるので便利なのですが、どうも対応が悪いのです。客である私に全く関心がないんだなということを感じます。でもたくさんいる客の1人なので仕方ないのかなと思っていました。先週トレーニングに行ったときに、たいして混んでもいないのに、混雑しているからとウォーキングマシーンの使用を20分間でと制限されました。しかし、あとから来た人には制限をかけていないのです。私は嫌われているのか?と思いました。もう二度と行かないと思うのですが、どうせやめるならダメージを与えてやめたいとあれこれ考えていました。怒りが少しおさまると、なんでおかしいことはおかしいと抗議できなかった自分が情けなくなりました。今度はきっちり言葉で伝えるために、もう少し頑張ってみようと思います。そもそも私の目標は「今年度中に体重2割減」でした。公約は果たします。

 


2012年12月3日|

日体研、その時

12-12-03_001.jpg.jpg

 121日、2日と日本体験学習研究会(日体研)が南山大学で例年通り開催されました。

 初日は仕事があり、参加しませんでした。夜の懇親会には出ることもできたのですが、2日目の発表の一夜漬け準備に時間を取られました。発表者の申し込み締め切り後にボスが発表者が少ない、などと含みをもたせるメールによりプレッシャーを受け、消極的動機で発表することになりました。発表当日はそれでもたくさんの方々にご参加いただき、いろいろ有益なお話ややりとりができたかな、と思っています。

 その後のミニ・セッションで佐々木豊志さんが発表された「3.11東日本大震災で試された「生きる力」〜「生きる力」は体験学習から育まれる〜」が強く印象に残っています。とくに“Cゾーン”の話です。

 “Cゾーン”とは、“Comfortable Zone”のことです。心地よい、安全なゾーンというで、そこから抜け出ることに冒険がある。冒険は当然、リスクがともなったり、安全ではなかったり、予測できない、心地悪い、精神的なストレスがある、状況が見えない、不安が増す、明日どうなるのかわからない、結果が保証されない、ということが起こります(http://www.rq-center.net/report/1801より)。

 ミニ・セッションの終了後に南山大学大学院M1の皆さんによる全体会が催されました。その時に“自分へのひと言メッセージ”を書くことになりました。私は絵にしました。

 真ん中のきみどり色が私のCゾーンです。最近の自分のファシリテーションを省みると、どうも守りに行っている、というかこんなもんだ、これくらいしか、といったところがふつふつと出てきているように思います。安全ゾーンに安んじてしまっている。

1年1か月と3日前、山口眞人先生が他界されました。Tグループのときなど山口先生は最後の全体会でよく“チェンジ・エージェント(Change Agent)”の話をされました。Tグループの興奮状態が冷めやらぬせいか、私にとってはこのことばが強く心に焼きつきました。その魂を“自分へのひと言メッセージ”のCゾーンの中に黄色で描きました。ファシリテーションは単なる技法や手段ではなく、思想であり、哲学である、と私は思っているし、信じています。その思いを遺志を山口先生から受け継ぐためにも、まだまだやらなければならない冒険が待っています。

私の周りには同じくCゾーンをもつ個人や団体や組織があります。このままでいい、変わりたいけど変われない、変わる意志があるが行動がともなわない、などといったさまざまな状況や環境があるでしょう。そのなかで私ができることはなにか、それぞれに沿えるかかわりや働きかけはなにか、それをいろいろな色や線で表わしました。

「本当の人間の価値は、すべてが上手くいって満足している時ではなく、試練に立ち向かい、困難と戦っているときにわかる ”The ultimate measure of a man is not where he stands in moments of comfort and convenience, but where he stands at times of challenge and controversy.”」(キング牧師)



2012年11月22日|

コミュニケーションの難しさ

他者に自分の思いを伝えることは、難しいと思うことがあります。
ある人から、「鈴木さんの言うことは、真実をあまりにもズバッーとストレートに言い過ぎる。」と言われたことがあります。
それは、「わかっているけれど、ストレートすぎて受け入れられない。」、「もっとやさしくし言って欲しい。」と言われました。
その人も、私に言おうか辞めようかと迷っていたけれど、色々な話の中から思わず出た言葉だったようです。
その人の話を聴きながら、何でも真実ならいいというものでもないし、私の言葉に配慮が足りなかったと猛烈に思いました。もう少し言い方を考えなくては、いけないとそのときにしみじみと思いました。でも、その人も言いづらい事をはっきりと私に言ってくれたことをとても感謝していました。
その一方で、少し、その人との距離を置いてしまう私がいたのです。感謝していたけれど、同時に嫌な思いをさせたことへの罪悪感から、前にように自然な感じで接しられない私がいたのです。
でも、先日、久しぶりにその人と会い、「あなたと他の人との話を聴いていて、あなたのコミュニケーションの仕方は、いいわね。」と言われたことが、その人から認められたような気がしてとてもうれしくなりました。不思議なもので、また、前のように自然な感じでその人と会話できる自分がいました。
この間もグループ・トレーニング研究会で、私のある表現が、ともすれば傷つけてしまう可能性があると言われたことがありました。
ああ、また、同じようなことを繰りかえりしてしまったと思ったけれど、それを私に教えてくれた杉山さんには、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
私の事をみてくれる事、そして、私の成長に欠かせない貴重な体験ができたことをとてもうれしく思いました。


サプライズ

10日ほど前、夫が還暦を迎えて家族で食事会をしました。
前もって伝えると「そんなのしなくていい」と言いそうなので、
夫には伝えず息子たちと準備を進めていきました。
とはいっても大したことはしていないので、
お店を決めたり、プレゼントを買ったり、メッセージカードを買ったり。
本人に気づかれないように息子と話をするのには少し気を遣いました。
気を遣っても一軒の家の中では、少々ぼろが出ます。
プレゼントの相談の電話が夫と一緒にいるところにかかってきたり、
2人だけで買い物に出かけたり、こそこそと話をしたり、
大阪にいる息子と連絡を取り合ったりしている時は、
隠している私たちは、ひょっとしたらばれてるかもと思ってヒヤヒヤしました。
当日、夫に「今日は外食だからね。」と伝えると「何で?」との返事。
「誕生日だしね」と言い、「ケーキ買いに行く」と伝えると「いらないよ」との答え。
やっぱりあらかじめ知らせたら駄目だったなぁと思いつつ夜を迎えました。
食事会の場所は、大阪から来る息子の都合で名古屋駅の居酒屋(洒落た店は夫には合わないし、日本酒好きだから)。
時間になり、プレゼントの入った袋を持った息子と車に乗り込むと
夫は「どこに行くの?」「名古屋駅」「へー、遠いね」。
有無を言わせず店に直行し、予約の部屋に入ると一足先に来ていた息子を見て、
「○○いるじゃん!!」
本当に何も気づいていなかったんだ!!
その後もプレゼントやカードを見て「こんな準備してたんだ」と驚いている。
この人にサプライズは簡単だなぁと、息子と成功を喜びつつも、
我が家で起こっていることに、何にも関心持っていないんだなぁと、ちょっと呆れました。
何はともあれ家族で一晩ゆっくり話し、笑って一緒にいられる喜びを感じて過ごせたことには感謝でした。
ちなみに、赤いちゃんちゃんこは無しでした。


2012年11月15日|

終末へのカウントダウン

私は慢性的な肩こりで肩が痛いのは当たり前のことです。たまに鍼灸院やマッサージ屋に行きますが、たいてい「これはひどいですね」と言われます。そうですか〜といいつつもちょっと嬉しくもあります。なんだか自分ががんばっている証のようにも感じるからです。しかしここのところの肩の痛みは尋常ではなく、背中に手をまわすと激痛が走ります。これってもしや…と思いつつ母に相談すると、「それは五十肩だわ」と言われました。五十肩って…まだ五十ではありませんけど、やっぱりそうか、要するに老化現象の一つかということで、認めたくないけど認めざるをえなくなりました。母はちょっと得意気に五十肩の経験談を語るのですが、なんだか高齢者の仲間入りをしたみたいで全く嬉しくなく、否定したいような気持ちがしました。

視力に関しても同様です。メガネをかけていても、手元の文字が見にくくなりまさかと思いつつメガネをはずすととってもよく見える。これが老眼ってやつか…認めたくないけど事実は変わりません。筋肉痛も翌日以降に出現するし、風邪も治りにくくなったし、ダイエットしてもなかなかやせないし…身体には悲しい現象ばかり現れます。こうやって、ちょっとずつ老化現象が身体に現れてきて、ちょっとずつ死に向かっていることを「受け入れていきなさいよ」と神様から言われているようです。永遠に命はないので、今を一生懸命生きていかなければならないということを身体が語ってくれているのだと思うと、ちょっと自分が愛おしくなります。


1 / 71234567

カテゴリー

最新の10件

過去ログ